愛と欲望のアラサー

バツイチアラサーの趣味とか仕事とか

私と本と友だち【本屋さんのダイアナ感想】

本やマンガが絆を深めてくれた、大事な友人がいる。

学生時代ほど読書しなくなってしまったけれど、出張の際、文庫本を買って、移動中に読むことがよくある。すぐに感動して泣くタイプの私は、新幹線の席でひっそり泣いたりもする。

先日は、柚木麻子さんの「ナイルパーチの女子会」を読んだ。前情報が無く、爽やかな女の友情ものだと思って読み進めていたら、途中から恐ろしいストーカー物語化していき、登場人物みんな癖ありすぎて非常に戸惑ったものの、面白くて止まらなかった。
ただ、「今から学生の前でニコニコするぞ!」という仕事を控えて読むのに適していたとは言い難い。
そこで、今回こそは柚木さんの爽やかなやつを読もう、と手に取ったのが「本屋さんのダイアナ」だった。

ただ、これもまた、「爽やかな女の友情もの」とは、いえないと思う。
これは、本を通して友情を育んだり時に壊れたりする、二人の女性の、精神的な自立に向かう物語だ。
その中には、自分にも覚えがあるような、女性の生きづらさや苦しさ、傲慢さや甘え、それに女性である故に味わう理不尽さが、具体的に描かれている。思い出したくなくて蓋をした過去の経験が、フラッシュバックして辛くなるような場面もあった。

そして、読んでいる間ずっと、脳裏に浮かぶ一人の友人がいた。
ずっと読書が好きで、わりと国語が得意だった私は、大学で文学部に入り、そこで「自分よりもっとずっと本を読んでいる人」や「もっとずっと国語が得意な人」「もっとずっと文章が得意な人」に出会い、落ち込む時もありながらも、感動していた。
その中でも、私の大学生活を大きく変えてくれた友人がいる。

私は腐女子だ。
それは、大学に入る前から自覚していた。そして、「これは人には言えない趣味だ…」と思っていた。
いや、今も、特段積極的に言うべき趣味とは思わないけれど、恥ずべき趣味であると思っていたし、両親は、潔癖で性的なことを私から遠ざける傾向にあったので、なおさら「絶対に隠すべき趣味嗜好」であり、「自分はちょっとおかしいんじゃないか」と思うこともあった。

大学2回生のゼミで偶然一緒になった彼女は、1回生の時も必修科目で一緒だったので、「この中で唯一の知り合い」というだけで、なんとなく一緒に授業を受けていた。少し経った頃に映画を見に行ったりもしたけれど、それくらいの仲だった。
それが、読んでいる本やマンガの趣味が合うことが徐々に判明し、明確なきっかけは忘れたけれど、確か、漱石先生の「こころ」の話をしていた時。探り探りの会話によって、なんと、彼女も腐女子と発覚したのだ。「私、実はこういうのが好きで…」とBLを読んでいることを彼女に打ち明られ、大学構内で「私もー!」と喰い気味で打ち明けた。まるで運命の人を見つけたような気分だった。

それからすぐに彼女の下宿先に遊びに行き、勧められるがままに、初めて人の隣でBLマンガを読んだ。あの時のソワソワ感は、今も忘れられない。人の!隣で!このような本を…!と、ソワソワソワソワしつつ、彼女のコレクションを堪能させてもらった。それは、私にとって、初めて「こういうのが好きな自分でもいいんだ」と思わせてくれる経験でもあった。(いいのか?)

その後、2人で同じ本やマンガを読み合い、感想を言い合うごとに、急速に仲は深まった。やがて、初めて同人系のイベントに行ったり、アニメとコラボした遊園地に行ったり、ついには夜行バスで東京のコミケにも行った。今も2人で語り草にする0泊2日の恐ろしい強行スケジュールは、若さあってのものだった。

卒業してから、私は関西を離れたけれど、最初に一人暮らし先に遊びに来てくれたのも彼女だった。
学生時代ほど毎晩のようにはできないけれど、週末の夜にはメッセンジャーで会話することもあった。

さらに数年の月日が流れると、いつの間にかイベントには行かなくなった。メッセンジャーでやりとりすることもなくなった。共通の話題のアニメやマンガも、互いにずいぶん見なくなってしまった。

それでも。今もなお、会えば互いに、会わなかった間どんな本を読んだのか、マンガを読んだのか、アニメを見ているのか、学生時代のように語り合う。
やっぱり私たちの趣味は似ていて、会わない間に同じ小説を読んでいたりする。なぜか同じタイミングで、古いアニメを見ていたりする。そんなとき、あの大学で探り探りの会話をした時と同じように、「私もー!」と声を高くする。
共通の友人も増えて複数で会うことの方が多くなり、皆で会うと「現在の私のイチオシ」プレゼンが自然発生する。

大学を卒業して10年経っても、私たちの会話のメインは、ほとんど学生時代と変わらない。そのことを、「私達大丈夫か?」と本気で心配になる時期もあったけれど、30半ばとなった今は、学生時代のような会話をいつまでもできる友人の有り難さを身に沁みて感じている。
生きていると、色んなことがありすぎて、普通に会話していたら愚痴や不満だらけになりそうな時もある。ましてや、私達は、結婚してたりしてなかったり、働いてたり働いてなかったり、子どもがいたりいなかったりする。そんな中で、私たちには、何のしがらみもなく、共に分かり合えるものがあり、一瞬で学生時代に戻らせてくれるものがある。

もちろん、私は知っている。圧倒的に迫ってくる現実、年を重ねるごとにどうにもできない悩みが増えること、彼女もそれらを抱えていること。
時には、そういったことについて深く話すこともあるし、2人で泣いた夜もあるけれど、いつだって私たちの傍には大好きな本やマンガがあって、それらが私たちを励まし、楽しい世界に連れて行ってくれる。仕事も家庭も関係なく、私たちを出会った頃のままの会話ができるようにしてくれるのだ。

再来週にはギアス3作目が公開される。私たちは一緒に映画館に足を運び、10年前と同じように、もしくはそれ以上に泣くだろう。


私は、赤毛のアンシリーズは途中で読まなくなってしまい、「本屋さんのダイアナ」に出てくるその他の少女小説にも詳しくない。なので、出てくる書籍の内容を思い出すよりも、大切な友人の彼女と一緒に読んだ、多くの小説やマンガを自然と思い出しながら、「本屋さんのダイアナ」を読み進めていた。ダイアナや彩子にとっての「赤毛のアン」は、確かに私たちにもあって、そんな私たちの思い出も呼び覚ましてくれる小説だった。