愛と欲望のアラサー

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彼と私のCookDo

離婚後、現在の彼氏との一歩を踏み出そうと思えたキッカケは、「CookDo」だった。

 

「恋は上書き保存」を地で行き、失敗すら上書き保存してずんずん進んでしまってきた私は、やっぱり結婚も失敗して早々に離婚した後、さすがにしばらく上書きできずにいた。

 

期間というより傷の大きさによって容量を増した「失敗結婚」フォルダの存在感は大きく、「私は誰かと人生を共にするということが出来ない人間なのではないか」と感じていた。

 

 

元夫と最もケンカの種になったのは、「家事能力」についてだった。

元夫は、手作りにこだわる人だった。市販の「料理の素」系を一切使わない「手作り」だ。
特にしんどかったのは、元夫は、私が、私の意志で、すき好んで、手料理を振舞うようになる、ということを求めていたことだ。言われて仕方なくとか、嫌々やるのではなく、「働きながらも積極的に手料理をする妻」になってほしかったのだ。

 

全くもって無理でした。

外食も嫌ならせめて簡単に作れるように、と私の母が買ってきてくれたCookDoを見て、「結局そういうのに頼るんだ」と冷たい目で言われたことは今も忘れられない。

ええやないか!簡単で美味しいやないか、CookDo
と今なら思うが、その時の私は罪悪感でいっぱいになっていた。イマイチ上手に手際よく作れないこと、積極的に手料理したいと思えないこと。
とにかく根本的な「毎日の晩御飯」への考え方が違っていたのだ。彼の手料理要求に対し私は私で「こんなに忙しい私を慮ってよ‼」という要求をしており、話はいつも平行線だった。

直接の離婚原因が料理だったわけではないけれど、こういったことの積重ねが、私たちの結婚をしんどいものにしていったように思う。

 

そうして、私は自分に対する自信を喪失していた。

しばらく月日が経っても、「自分は駄目な奴」「誰ともうまくいかないのでは」という思いは消えず、定期的に飲みに誘ってくれる男性が現れて好意を示してくれても、「どうせうまくいかないのでは」と、踏み切れずにいた。

 

その定期的に飲みに行く彼と、恋人なのかそうじゃないのかな日々を続けていたある日、初めて彼の家に行くことになった。

休日の日中で、彼の飼っている犬が少し体を弱くしていて、外に出るよりも、家で一緒にご飯を食べよう、となった。

「うち、何もないけど…」と言って彼が取り出したのが、少しの野菜と、CookDoだった。

二人で野菜を切り、パッケージの裏を見ながら、切った材料とCookDoを炒める。その時、彼が満面の笑顔で言った。

「こうして一緒に料理して食べるの楽しいね!」

なんだか泣きそうになった。

確かに楽しい。美味しいし、楽しい。私たちは今、一緒に「料理」して、楽しく、ご飯を食べている。

人前で料理することが、いつしか怖くなってしまっていて、この時も「大丈夫かな、大丈夫かな」と思いながら野菜を切っていた。彼の言葉は、今の私にも過去の私にも「大丈夫だよ!」と言ってくれているようだった。

そうして、この人と踏み出すことを躊躇している今の私は、「もう傷つきたくない」「自分の苦手をさらしたくない」と、自分を守っているだけであるとやっと気づいた。最初の結婚で私に圧倒的に足りていなかったのは、料理の技術よりも、相手を思いやる心だ。自分のことばかりで、相手の希望を叶えたいという気持ちすらなかった。今も相変わらず自分のことばっかりで、全然目の前の人と向き合えていない。こんなに、私と一緒につくったご飯で楽しんでくれているのに。

 

それからさらに二年以上の月日が経ち、彼と結婚の話が出始めている。

未だに、自分が結婚に向いていると思えないし、主に自身に対する懸念が消えず、どうしようもなく不安になるときがある。だからこそ、彼との一歩を踏み出したあのときを思い出して、また前に進もうともがいている。