愛と欲望のアラサー

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雨宮まみさんがいなくなってしまってブログを書くことを決めた

大好きなことは大好きだと積極的に発信する、そう心に決めるキッカケになる出来事だった。雨宮まみさんが、亡くなってしまったのだ。

まだ「亡くなった」と書くことにも抵抗がある。それくらい、現実味がない。私はただの一ファンだったので、直接の交流などあるわけがないし、本棚にもネットにも、彼女の文章が溢れている。フォローしていたツイッターでも、つい先日の彼女の呟きを見ることが出来る。
だから、まだ信じられない。


「一番好きなライターさん」というよりも、「一番特別なライターさん」だった。
大学を卒業してから働き続けて、現在アラサー。結婚は経験したけれど、離婚も経験した。独り身になった今も、実家に帰ることは年に数回だけ。
そんな私が、日々の生活で時々感じる「イライラ」や「もやもや」。それらを言葉にしてくれて、「怒っていいんだ」「哀しくなって当然なんだ」と思わせてくれる人が、雨宮さんだった。


デビュー時から追ってきたわけではない。雨宮さんのことは、この数年で知って、いつの間にかその文章を追いかけるようになり、この一年は特に、いつも彼女の文章で励まされてきた。

自分が結婚に悩んでいた時期は、彼女の痛いくらい刺さってくる文章が読めなかったこともあった。思えば、彼女の文章を見ないようにすることは、自分の「もやもや」と向き合っていないことも表していた気がする。

そうして色んなことに蓋をしたまま結婚した私は、数年でやっぱり離婚した。その離婚前後から、また雨宮さんをよく読むようになっていた。


離婚したとき、スッキリした気持ちが大きかったけれど、独りになる不安もやっぱりあったし、世間的に見て「かわいそう」と思われる状況になった自分のことも感じていた。
離婚できてよかった、仕事があって良かった、と心底思っている。でも、「女は仕事だけでは幸せになれないんだよ」と、親身な様子でわざわざ言ってくれる人はいるし、自分でも時々、未来に対する漠然とした不安を感じる。
そうして、そんな不安を感じる夜や、‘親身な人’にもやもやしてしまった夜、私は雨宮さんの文章を読む。


雨宮さんは時々、雨宮さんがすごくかっこわるかった夜のことも書いてくれる。大人になってもすごくかっこわるい夜もあるもんだ、ってことを書いてくれる。私は泣き笑いで「そうそう、やっぱりそうですよね」なんて思う。

会ったこともない、本当はずっと遠い雨宮さんのことを、まるで「時々会うカッコイイ女の先輩」みたいに思う。辛い夜は一緒に飲みに行って、先輩のやらかした話や先輩も感じる世間の辛さを聞かせてもらい、自分もこのまま頑張ろう、と思って眠りにつく。そして朝が来たら、仕事に行く。目がパンパンに腫れているけど、先輩も今日も頑張っているから。私にとって雨宮さんは、そんな存在だった。

それなのに、この世からいなくなってしまった。もう、雨宮さんの新しい文章を読むことはできない。

亡くなられたと知った翌日の夜、雨宮さんを全く知らない友人に付き合ってもらい、散々飲んで、一人で勝手に酔っぱらい、どういうところが好きだったかを語り、声を出して泣いた。ぐちゃぐちゃになった顔に友人がマスクをつけてくれて、まだ早かったので電車に乗せられた。そこでも座った途端泣きだしたら、上から友人のハンカチが乱暴に降ってきた。
友人は呆れながらも家まで送ってくれて、眠りながら泣く私を見届けてくれたらしい。らしい、というのは、いまいち覚えていないからで、友人からその話を聞いたとき、私は笑いながら「雨宮さんのコラムに出てきそうな話だ」と思った。そしてまた泣きそうになった。

私は雨宮さんより、きっと少しお酒は強い。ワインだったら一本くらいなら空けられる。だから、一軒目で、大した量も飲んでいないのにそんなに酔ったのは、哀しい感情だけでなく、語っている自分に酔っていたのかもしれない。そう考えると、自己嫌悪感に襲われる。「哀しい」という感情にだって、「今後は自分のもやもやと自分で向き合うしかなくなった」ことや恐れも内包していた。なんて自己中心的な奴なんだろう。でも、本当に哀しくて、悔しくて、恐くて、どうしようもない喪失感に襲われていたのだ。


そんなとき、とあるサイトで雨宮さんのニュースが雑にまとめられているのを見てしまった。いわく、「知名度はないが、その死因で注目されている」。
怒りで自分のスマホを叩き割ってしまうかと思った。

知名度がない!?死因のせいで注目されている!?ふざけんな!!私のように、いやもっと哀しんでいるファンは大勢いる!!雨宮さんが、どれだけの女性を救ってきてくれたと思っているんだ!!!!


でも、すぐに気づいた。私自身、「雨宮まみさんの書かれる文章が大好きだ」と、インターネットでも一度も言ったことがない。

雨宮さんが心の支えで、そっと追いかけている女性は、きっと表面化しているよりずっとずっと多くて、でもそっと追いかけてきたから、知られていないこともあるんじゃないか?それがこんな下品な書かれ方をされてしまう一因にもなっているんじゃないか?

そして思った。好きなことは好きだと表明していこう。どんどん言っていかないと、世間にだって「人気なんだ」と気づいてもらえないかもしれない。何より、どんな方法でも、「好きだ」と言ったことがなければ、本人に届くことなんて絶対にない。

それで私はブログを始めることにした。雨宮さんはもういなくなってしまったけれど、こんな風に感じて荒れたファンもいた、ということをまずは表明したい。そしてこれからは、そのブログでどんどん好きなことを好きだと書いていこう。私が好きなことは、本とマンガとアニメと下ネタなので、下品なブログになるかもしれないし、これを見た同じ雨宮さんファンが、「こんな奴と一緒だと思われたくない」と思うかもしれないけれど、とにかく好きなことを書いていきたいと思う。

そして、まだまだ雨宮さんの文章も読み続ける。私の読んだことのない文章もたくさんあるし、同じものも何度だって読む。雨宮さんをきっかけに知った音楽を聞きながら、雨宮さんの文章をたくさん読んで、これからもファンであり続ける。だって、今もまだ辛すぎるから。辛い夜には、雨宮さんを読んでいたのだから。まだまだ夜を雨宮まみさんと過ごしたい。朝が来るまで。朝が来るまで、終わることのない雨宮まみを。